大悲・中悲・小悲というところで
何か引っかかるので元に戻って
読みなおしているのですが
大悲というようなことは
人間には出てこない、
ということが講義にはあったのです。
しかし、
そういう因をもっているということは
人間にはあるのではないでしょうか。
何かの縁に触れてそういう心が生じてくる
ということがあるように思うのです。
「捨身飼虎」という物語があります。
飢えた母親の虎が空腹のために我が子を
食べようとしている。
その様子を見た薩埵サッタ太子は自分の体を
虎に差し出したという話しです。
捨身という、わが身を捨てるという
そういうことが多くの経典に出てきます。
そのことに感動された聖徳太子は
玉虫厨子の扉にこの物語を描かれたのです。
一面にはこの「捨身飼虎」の図を、
もう一面には「施身聞偈」セシンモンゲの図を、
施身聞偈の話は、
雪山童子(セッセンドウジ)が教えを請うために
自分の身体を羅刹(ラセツ)に差し出した
という物語です。
童子が修行をしていると、
どこからともなく
「諸行は無常なり、是れ生滅の法なれば」
という声が聞こえてきた。
辺りを見渡すと、
そこには大きな羅刹がいるだけだった。
もしやと思い、羅刹に尋ねると、
その羅刹が言うには、
「自分は空腹で
何か口ずさんだのかもしれない」と、
けど、その一文は半分で
後に続く言葉があるはずだ、
どうか教えて欲しいとその童子は
願ったのです。
今腹が減っているので
満腹になれば教えてやろう、という
ではあなたの食べ物は何ですか、と
「しれたこと、人の肉が自分の食べ物だと」
雪山童子は考えたすえ、
では私の体を差し出しますので、
後の半偈も教えてください。
「是れ生滅の法なれば、
生滅を滅しおわって
寂滅の楽となす」
その言葉を聞くなり雪山童子は周りの木や
岩に書き記し、
これで思い残すことはないといって、
羅刹の口に飛び込んだのです。
すると羅刹は帝釈天に変わり
その雪山童子を敬った、
ということです。
雪山童子のように
教えを請うために自分の身を捧げる
というのはまだしもなんとなく
分かるような気がするのですが、
ただ、飢えた虎のために自分の身を
捧げるか、というのは
虎ごときのためにと思ってしまうのです
しかし、一切衆生ということをいいます。
一切衆生という立場に立てば
虎も人間も同じ衆生の一人です。
その衆生が困っているのであれば
我が身を差し出しても悔いないという
ことが、大悲という立場なのでしょう。
布施ということがありますが
いろいろありますがこの捨身という
自分の身を捧げるという布施は
最上のものです。
講義で出てきた言葉に、
「大悲というのは衆生そのものとなる」
という、
衆生を向こうにおいて
憐れんだりするのではなく、
「そのもの」になる
というとき大という字が
つくのではないか。
ということがあって、
そのものとなるということは
捨身飼虎の物語のように
飢えた虎に自分の身を施すという
虎と人とが区別がないのです。
同じ衆生の一員として、
憐れむのではなく自分の身体を捧げる。
そういうところに「大悲」といわれる
精神があるように思うのです。
こういう物語は
「月のうさぎ」という話しにも出てきます。
兎とリスと狐が一緒に住んでいました。
そこに修行者がやってきたのです。
三匹は修行者に何か供養をしなければと、
リスは貯めていた木の実を持ってきます。
狐は獲物を捕らえて来て差し出します。
何も持っていないウサギは考えたすえ、
自分の身を差し出そうと決めます。
そして、修行者に火を熾してください、と
火が燃え上がったとき、
どうか私の体を食べて下さいと、
火の中に飛び込みます。
すると、その修行者は帝釈天に変わり
その兎を両手で受け止めてそばに置き、
兎の功徳をたたえて、
須弥山をぎゅっと絞って出てきた汁で
月に兎の姿を描いたという話しです。
捨身ということは、
捨身の誓願ということもあり、
弘法大師も子供の頃、
山から飛び降りて、世のため人のために
なるようにと、決心を試したという
話が伝わっています。
それでその山を「捨身が嶽」といいます。
なにかこの、捨身ということと
大悲ということが関係があるように
思うのです。
大悲ということも分かりにくいのですが、
捨身ということと併せて考えると
何となく分かるような気がします。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という言葉もありますが、
実践という立場に立てば、
「身を捨てずに何ができますか」
と言った方がおられます。
本当に何かをやろうとしたときには
身を捨てなかったら何も出来ないので
はないでしょうか。
また、ふと思い出すのは、
子供の頃、
床の間に「慈母観音」の掛け軸が
妙に記憶に残っているのです。
観音さまの水瓶から水が滴り落ち、
その下に丸い円の中に子供が描いてある
という図です。
母親というものは子育てとなると
自分を犠牲にしてもかまわないという
喜んで犠牲になろうと、
そういう姿が慈母といわれる所以でしょう。
その姿を観音さまに喩えて
この「慈母観音」という姿が生まれたと
思うのです。
まあ、いろいろ書きましたが、
大悲ということが少しでも
その糸口になればと思うのです。
まあ、ここのところは何回も読み返して
その度に考えさせられるところです。