本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

捨身飼虎(しゃしんしこ)

大悲・中悲・小悲というところで

何か引っかかるので元に戻って

読みなおしているのですが

大悲というようなことは

人間には出てこない、

ということが講義にはあったのです。

しかし、

そういう因をもっているということは

人間にはあるのではないでしょうか。

何かの縁に触れてそういう心が生じてくる

ということがあるように思うのです。

 

「捨身飼虎」という物語があります。

飢えた母親の虎が空腹のために我が子を

食べようとしている。

その様子を見た薩埵サッタ太子は自分の体を

虎に差し出したという話しです。

捨身という、わが身を捨てるという

そういうことが多くの経典に出てきます。

 

そのことに感動された聖徳太子

玉虫厨子の扉にこの物語を描かれたのです。

一面にはこの「捨身飼虎」の図を、

もう一面には「施身聞偈」セシンモンゲの図を、

施身聞偈の話は、

雪山童子(セッセンドウジ)が教えを請うために

自分の身体を羅刹(ラセツ)に差し出した

という物語です。

童子が修行をしていると、

どこからともなく

「諸行は無常なり、是れ生滅の法なれば」

という声が聞こえてきた。

辺りを見渡すと、

そこには大きな羅刹がいるだけだった。

もしやと思い、羅刹に尋ねると、

その羅刹が言うには、

 「自分は空腹で

 何か口ずさんだのかもしれない」と、

けど、その一文は半分で

後に続く言葉があるはずだ、

どうか教えて欲しいとその童子

願ったのです。

今腹が減っているので

満腹になれば教えてやろう、という

ではあなたの食べ物は何ですか、と

「しれたこと、人の肉が自分の食べ物だと」

雪山童子は考えたすえ、

では私の体を差し出しますので、

後の半偈も教えてください。

 

「是れ生滅の法なれば、

 生滅を滅しおわって

 寂滅の楽となす」

 

その言葉を聞くなり雪山童子は周りの木や

岩に書き記し、

これで思い残すことはないといって、

羅刹の口に飛び込んだのです。

すると羅刹は帝釈天に変わり

その雪山童子を敬った、

ということです。

 

雪山童子のように

教えを請うために自分の身を捧げる

というのはまだしもなんとなく

分かるような気がするのですが、

ただ、飢えた虎のために自分の身を

捧げるか、というのは

虎ごときのためにと思ってしまうのです

しかし、一切衆生ということをいいます。

一切衆生という立場に立てば

虎も人間も同じ衆生の一人です。

その衆生が困っているのであれば

我が身を差し出しても悔いないという

ことが、大悲という立場なのでしょう。

 

布施ということがありますが

財施とか法施とか無財の七施とか

いろいろありますがこの捨身という

自分の身を捧げるという布施は

最上のものです。

 

講義で出てきた言葉に、

「大悲というのは衆生そのものとなる」

という、

衆生を向こうにおいて

憐れんだりするのではなく、

「そのもの」になる

というとき大という字が

つくのではないか。

 

ということがあって、

そのものとなるということは

捨身飼虎の物語のように

飢えた虎に自分の身を施すという

虎と人とが区別がないのです。

同じ衆生の一員として、

憐れむのではなく自分の身体を捧げる。

 

そういうところに「大悲」といわれる

精神があるように思うのです。

 

こういう物語は

「月のうさぎ」という話しにも出てきます。

兎とリスと狐が一緒に住んでいました。

そこに修行者がやってきたのです。

三匹は修行者に何か供養をしなければと、

リスは貯めていた木の実を持ってきます。

狐は獲物を捕らえて来て差し出します。

何も持っていないウサギは考えたすえ、

 

自分の身を差し出そうと決めます。

そして、修行者に火を熾してください、と

火が燃え上がったとき、

どうか私の体を食べて下さいと、

火の中に飛び込みます。

すると、その修行者は帝釈天に変わり

その兎を両手で受け止めてそばに置き、

兎の功徳をたたえて、

須弥山をぎゅっと絞って出てきた汁で

月に兎の姿を描いたという話しです。

 

捨身ということは、

捨身の誓願ということもあり、

弘法大師も子供の頃、

山から飛び降りて、世のため人のために

なるようにと、決心を試したという

話が伝わっています。

それでその山を「捨身が嶽」といいます。

 

なにかこの、捨身ということと

大悲ということが関係があるように

思うのです。

大悲ということも分かりにくいのですが、

捨身ということと併せて考えると

何となく分かるような気がします。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

という言葉もありますが、

実践という立場に立てば、

「身を捨てずに何ができますか」

と言った方がおられます。

本当に何かをやろうとしたときには

身を捨てなかったら何も出来ないので

はないでしょうか。

 

また、ふと思い出すのは、

子供の頃、

床の間に「慈母観音」の掛け軸が

妙に記憶に残っているのです。

観音さまの水瓶から水が滴り落ち、

その下に丸い円の中に子供が描いてある

という図です。

 

母親というものは子育てとなると

自分を犠牲にしてもかまわないという

喜んで犠牲になろうと、

そういう姿が慈母といわれる所以でしょう。

その姿を観音さまに喩えて

この「慈母観音」という姿が生まれたと

思うのです。

 

まあ、いろいろ書きましたが、

大悲ということが少しでも

その糸口になればと思うのです。

まあ、ここのところは何回も読み返して

その度に考えさせられるところです。

 

 

 

 

 

法が人間になった

お釈迦さまの旧姓は

ゴータマ・シッダールタといいます

お城を出て修行者の群れに身を投じたとき

父であるスッドーダナ王は

我が子を見守るように五人の家来を

遣わしたのです。

お釈迦さまの修行に着かず離れず

その様子をじっと見守っていました。

そのことを知っていたお釈迦さまは

もし自分がさとりを開いた時は

まず最初にこの五人の家来に

教えを説こうと決めていたのです。

 

そのことを講義では、

 

「先にいった五人の比丘がですね、

『おおゴータマよ』と

呼びかけたんですね。

釈尊に会うたから『おおゴータマ』

といって、仏陀の姓を呼んだんです。

そしたら仏陀がそのときに

『私をゴータマという性で呼びかけては

いけない』と、

ゴータマは人間の姓だと。

私は人間ではないと、

人間ではないけど神でもないと、

悪魔でもないと。

如来だ』とこういったんです。

『タターガタや』と。

人間ではないけど、

そうかといって化け物だと

いうわけではないと。

これは面白いね。

 

如から来たものだといったんです。

法から生まれたものだというんです。

人間から生まれた自分であった、

それはそれはゴータマだけども、

法を覚った時に法を見出した時に

新しく再生したんです。

その見出した法から生まれてきたと。

 

つまり法が人間になったんだと。

法が人間になって初めて法が輝くんです。

見出されん前はただ、

誰も法はもっとるんだけど、

法がはたらかんです。

人類的な事業ですね。

そのはたらきを … そこで如来という

言葉が初めて出てくるのです。

 

からして法というものは

如来如来にしたものを法というのです

から、だから仏陀如来になるわけです。

よく普通の人は仏陀が死んだというけど、

死んだとか生まれたとかいうことは

凡夫にあるもので、仏陀にはないんです。

 

仏陀は生まれたというのではない、

出興(シュッコウ)したんです。

人間に出興したんです。

それだから涅槃に入るのです。

死んだんじゃないんです。

 

そういうような意味で、

法から生まれたというような意味が…、

仏に先立って法があるのですが、

しかし、その先立っている法というものを

明かにした仏なんだ。

 

だから我々は仏からしか、

仏を通してしか

法に接するわけにはいかない。」

 

お経の最初の言葉が

「如是我聞」(にょぜがもん)という、

この我というのは阿難尊者のことです。

最後までお釈迦さまに付き添い

自分が聞いた言葉を伝えたのです。

このとき、前にも言ったのですが

我というは主格ではないのです。

自分はこう聞いたと主張するのではなく

インスツルメントで具格という

私においてはというような

非常に謙虚な態度で述べられているのです。

ですから、「聞く」ということが

一番大切なことになります。

聞・思・修というように

最初の修行は聞くという「聞」です。

それも、教えに触れた人の言葉を

聞くというこいとが大切です。

 

この『十地経講義』の最初の言葉は

「見て敬い聞いて忘れず」

ということから始まります。

そして

「その思索と体験に方向を与えるものが

聞法です。」

とあるように、ただ何でも聞けばいいという

ものではなく、方向性を持ったものでしょう。

 

いつか、テレビで涅槃像を紹介するとき

「寝仏(ねぼとけ)」というようなことを

いっておられました。

涅槃ということが分からないのです。

まあ、死んだというより、寝ている仏と

いったのでしょう。

あの涅槃像の大きな姿も、

あれは阿難尊者が見た釈尊の姿でしょう。

事実は、痩せこけた老人が横たわっている

ということでしょう。

そのとき、ただの姿ではなく

釈尊という法を体現した体をそこに見られた。

そういう姿があのように大きな姿に

なったのでしょう。

 

ある先生の講義で、

その先生は年も老いておられてた。

歩く姿はよぼよぼした足元もおぼつかない

その先生がいったん講義になると

顔艶もよく光り輝いて見えるものです。

まあ、私には法が話しておられる

というように見えたものです。

 

如から来たものだと、

なにかしら、面白い言葉です。

 

 

 

さとりというものは言葉より先に顔に出ている

早速講義ですが、

 

「これは仏伝の話ですけども、

鹿野苑(ろくやおん)において

五人の比丘が、始め釈尊を捨てていた

この五人の比丘が、

捨てたんだからやっぱり因縁があると

いうわけで、

釈尊は最初に五人の比丘を済度されたと。

始めには五人の比丘を済度し、

最後には沙羅双樹の入滅の前に最後の弟子

チュンダというのか、それを済度された。

こういうことが仏伝に出ているのです。

 

その五人の比丘がさとりをひらいて、

そこに阿羅漢が成就したと。

その時何か経典はですね、

曠劫以来(こうごういらい)、

世界が始まって以来ここに六人の

阿羅漢というものが生まれた

ということをいっておるのです。

五人の阿羅漢と

それを阿羅漢にしたところの

仏陀がやっぱり阿羅漢果を証しておる。

だから、さとりをひらいたのは五人の

阿羅漢ですし、また、ひらかしたのは

仏陀だけど、仏陀ももちろん

阿羅漢のさとりをひらいているわけです。

だから六人の阿羅漢とこういってある。

しかし仏陀は阿羅漢でもあるけど、

阿羅漢のみではないですね。

タターガタ(tathâgata)という。

そのとき、如来という言葉が、

後では非常にたくさん出てくることに

なるけど、最初のまだ熟語にならん

如来という言葉じゃないかと思う。

 

初め五人の比丘は仏陀を捨てたんです。

あれは堕落したと。

ミルクを飲んで、苦行をやめたんで

堕落したと。

それでこんな堕落者と一緒におれん

というので捨てていったんです。

ところがこの五人の比丘を待ちうけて

おったんですね、仏陀が。

その時その五人の比丘がやってきて、

初めはあんなもの眼中におかん方がよいと、

話の相手にならん方がいいと

言っていたけど自ら何か … 。

 

さとりというものは言葉より先に

顔に出ているものなんです。

言葉じゃない。

さとりとか信心というものは言葉じゃない

顔に出るものなんです、初めから。

からして、

なんか威厳に打たれたのでしょう、

仏陀の。

 

これが非常に大事なことですね。

縁起というようなことについて

舎利弗や目連というのが … あの当時の

比丘というのはみな大学生ですから …

どっちかがさとりをひらいたら

お互いにそれを伝え合おうと、

そして、それを一緒に学んで行こうと、

こういうふうになっていたところが、

舎利弗(シャリホツ)でしたかね、道で …

その時の沙門というのは学生ですから …

 

向うからやってくる沙門の顔がいかにも

何かこうキリスト教でいえば権威ある

もののような顔をしておったんですね。

なかなかそんな顔はできるものじゃない。

そこで顔を見てすぐ分かったんですね。

君は一体どこの学生かといったんだ。

どこの大学に学んでいる学生かと、

私はゴータマ・ブッダの傘下におると。

釈尊の大学におる学生やと、こういった。

 

そうすると、

そのゴータマ・ブッダは何を説くのかと、

こういった。

私はまだ入学して一年生やと。

それでよう分からんと。

仏陀の教説は、深いところはあなたに

まだ説明できんけど、

私の聞いた範囲では、

諸法は因縁から生ずるということを

説くのが仏陀だと。

私がいま聞いた範囲はそうやと。

縁起やね。

諸法は縁によって起こる

ということを言った。

 

そしたら、

いった人間より聞いた舎利弗の方が

頭がいいから、言下にさとったわけです。

なるほどそうだと。

それで顔色が読めたというわけです。

 

その話を聞いて、

さとりというものは言葉を聞くより先に

やっぱり顔にあるもんじゃないかと思う。

暗い顔して信心ということは

ないんじゃないかと思う。

理にかなうもまたさとりにあらず

ということがあって、

何か、

合理的認識をもった理論的認識をもった

ということなら顔には出ないです。

暗い顔しているんですよ。

さとりでないんだから、

合理的ということは。

客観的知識をんもったということは

さとりという意味じゃない。

主観的でもないし客観的でもないんだ、

さとりというのは。

 

だから何かやっぱり根底が変わってしまう

ことですからね。

その、於てあるものがかわるんじゃない、

立っている立場が変わることですから。

からして、

その立っている者が青い顔していれば

青が光ってくるしね、

立っている者が赤い顔していれば

赤さが光ってくるし。

その立っている者の賢いとか愚かとか、

愚鈍だとか何とかいうものは

やっぱり宿業です。

頭がいいとか悪いとかいうものは

宿業というものであって、

その宿業というのはどうにもならん

ものであって、

どうにもならんものをどうかしよう

というのが僕は無駄なことじゃないかと

思うですね。

 

それよりもっとどうかせんならんものが、

どうかすることができ、

ものがどうかせんならんものだ。

どうかできんものはどうかする必要は

ないんだ、それを。

 

だから、於てあるもの変えようと

いうような無理なことよりも、

於てある立っておる立場を変えることです。

そうすれば愚鈍は愚鈍のままに光るのです。

賢くする必要はないんです。

こういうようなことができるのじゃないか

思うね。

そういうのが顔に出てくるのです。」

 

この当時、テレビのコマーシャルで

「明るいナショナル」というテーマソング

がありました。

三浦先生がとても気に入って、

常々、「明るいナショナル」と

暗い顔しちゃいかんと、

本当に教えを聞いたら顔が明るくなる

のではないかと、暗い顔するな

ということをいっておられました。

 

それから、愚鈍は愚鈍のままで、

この言葉に頷いた人がたくさんいました。

掃除しかできない、

聞法してもすぐ眠くなる、

どうしたものかと悩んでいた時、

この言葉は救いでした。

 

「仏法は他人に注文せん」

ああしなさいとかこうしなさいとか、

安田先生も、

「あの君はそのままでいいのですよ」

といわれ、何か有頂天になり

「ああ、このままでいいのだ」と

得意げになっていたのですが、

すかさず、

「このままではいけない。

 そのままでいいのですよ」

と、問答みたいなことを言われ

いったいどういうこと、と

悩んだものです。

 

 

 

 

大悲・中悲・小悲

講義の会所であった宝菩提院には

14.5匹くらいの猫がいました。

食事の世話も大変で、

猫が一番先に食事を作ります。

お腹が大きくなるとステーキ出ます。

猫のステーキを焼きながら、その匂い

美味しそうな匂いだけか嗅ぎながら

お肉の味を想像していました。

 

面白いことに、その中のボスのような猫

この講義が始まると決まって

安田先生の目の前のに座り、

気持ちよさそうにじっとしていました。

安田先生も撫でるわけでもなく、

無視するかのように講義されました。

 

ここで、大悲ということが出てきます。

慈悲ということも、慈と悲に分けて

見なければなりません。

「慈」はマイトレーヤといって

弥勒(みろく)と音写されます。

それで

弥勒菩薩のことを慈氏菩薩ともいいます。

意味は衆生を愛しいつくしみ楽を与える

これを与楽(よらく)といい、

衆生を憐れみ傷んで苦を抜く抜苦(ばっく)

を悲といいます。

それで抜苦与楽ということで慈悲ということを

表しています。

そこから、

慈悲にも三つあって、大悲・中悲・小悲と

いうことをいいます。

 

小悲-衆生縁の慈悲といい、

 それぞれの衆生に対して起こす慈悲で、

 これは凡夫の慈悲ともいわれます。

中悲-法縁の慈悲といい、

 諸法は無我であるとの真理を悟って

 起こす慈悲といわれます。

 初地以上の菩薩の慈悲ともいわれます。

大悲-無縁の慈悲といい、

 あらゆる差別の見解を離れ

 遠慮するものさえない所に起こる

 絶対平等の慈悲で、

 これを如来の大悲といいます。

というような定義があります。

 

講義を見ていくと、

「それからもう一つは大悲ですね。

大悲方便、大悲と方便です。

この二つの言葉は

『三昧智慧方便善清浄』と

言葉は長いけど、重点は方便と、

そこにあるわけです。

 

しかし、この大悲というのも、

なかなかよう分からん字なんです。

なぜ分からんようになるかというと、

人間でも大悲できると思うからです。

 

猫を可愛がる、

三浦さん怒るかもしれんけど、

猫を可愛がるというような例で

大悲というものを考えるというと、

何でもないように思うけど、

そうじゃあないんです。

 

大悲というのは …

これは北森嘉蔵という神学者がおって、

『神の痛みの神学』という本を書いて

有名になった人です。

痛みといって、僕は、

大悲といっても大という字がつくことも

考えならんです。

我々が考えているのはただ小悲とか

中悲とかいうものであって、

大悲といったようなものは普通では

ちょっと考えようがないですね。

 

人間が人間を大悲するというような

ことは、

人間というのは痛むというようなことは

できんもんじゃないかと思う。

まあせいぜいできても小悲ですね。

不遇なものが可愛いとかですね、

そういうような、

不幸なものが可愛いとか、

劣ったものを痛むとか、そういうような、

最もけちくさい慈悲ですね。

まあ一応やったようだけど、

やった後から続かんです、後がね。

猫でも拾ってくるけども、

自分が食える間は拾うけど、

自分が食えんようになってしまったら

可愛い猫でも捨ててしまう。

猫にかまっておれんと、

そういうようなものです。

 

そんなわけで、

芭蕉が決して捨て子を拾わなかった

というようなことも出ています。

生半可な慈悲はかけるもんじゃないと、

こういうようなもんです。

猫と心中するかと、

そんな腹はないのですから、人間には。

だから、みんな算盤が入っているから、

なかなか悲しみというようなことは

できないのです。

自分の算盤でただ慰みとして

やっているだけの話で、続くものではない。

いい加減なものです。

だから痛むというようなことは

容易にできるものではないです。

この般若をくぐってこないと。

 

今でも頭にひっかかっておるのは

大慈悲はこれ仏道の正因』で、

正しい因だということがいってあります。

大悲というのは仏道の正因であると

こういってあるんですけど、なかなか… 。

 

如来というような、

如といっているけど別に如来様というものが

あるわけではないですけど、

如来衆生となるというこいとが

大悲だろうと思うんです。

それによって、自分も衆生の一人として … 。

 

衆生を向こうにおいてそれを

大悲するんではないんであって、

大という字はつかんのです、

そのときに、向こうにおいたら。

衆生そのものとなるというような意味

ですね。

『そのもの』といったようなときに

大という字がつくのです。

 

分別するんじゃない。

比較して憐れなもんだとか、

憐れでないものに比較して憐れなもんだと

考えるのですから、

つまり大という字がつくのは傍観者という

立場を棄てなければ大という字は

つかないのです。

相手そのものになるということですね。

 

相手を向こうにおいて、

それに対して大悲をかけるというような、

それには大という字はつかないんです。

小なんです。

相手となると。

それで相手を救うんじゃないです、

なるだけなんです。

相手となって相手を救うと、

救うというようなことをいう必要がない。

相手となるということですね。

 

永遠に浮かばれん身になると、

こういうようなことなんです。

それが浮かばされるんですわ。

自他が平等にですね。

そういうんですから、

これはなかなか大悲というようなことも

人間からは出ないのですよ。

人間よりもっと根元のところから

出てくるようなはたらきです。」

 

できるとか、できないとか

そういうことではなく

こういうことがあるということを

知ることが大事だと思うのです。

 

 

全身全霊をあげて教え、全身全霊をあげて学ぶ

この十地経講義は場所は東寺の宝菩提院

というところで、聴衆はおもに

洛南高校の先生方を中心にそして

様々な方面の方もお見えになっていました。

安田先生にとって、この講義では

やはり、教育ということが

中心の課題だったように思います。

「宗教の実践は教育ではないか」

ということを常々仰っておられました。

ちょうど、その当時は

洛南高校が新たに生まれ変わろうという

時期にさしかかっていました。

毎月の講義を聞いてそれをどのように

実践するか、

それが毎月の課題でした。

安田先生は三浦先生を傍において、

「今どきの高校生に

どのように宗教ということを伝えていくか、

それが僧侶としての勤めでしょう。

国宝の番人で終わっては

いけないのではないか」

というようなことを仰っておられました。

 

洛南高校の校訓は

仏教の三宝である三帰依から

「自己を尊重せよ」

「真理を探究せよ」

「社会に献身せよ」

というように定められたのです。

この時も、「せよ」というのは命令形で

いけないのではないか、

という指摘もあったりしたのですが、

これは他人が命令するのではなく

自分が自分に向かって命令するのであって

上からの強権的なことには当たらない

というようなこともあったのです。

 

安田先生も他も講義の場所で、

「あなた達は私の話を随分長いこと

聞いておられるが

実践が伴わないではないか」

「ただ一人実践しているのは東寺の三浦君

だけじゃないか」、と

聴衆の方にもはっぱかけておられました。

 

そういうところで、

今読んでいるところは、第六現前地から

第七遠行地にかけてのところで、

般若が現前するという、

そこに大きな落とし穴があって、

人間の傾向性として一服してしまうという

難関があるのです。

その悟ったという智慧を破っていくのが

第七地の方便智である、

というところでした。

その方便智の具体的な例としての話が

続いてきます。

 

「たとえていえば、

こういうことがあります。

子供の教育の場合でも、

これは菩薩の教育ですけども、

たとえてみたら全身全霊をあげて教える

というようなことになると、

何を教えておってもですよ、

数学を教えておっても、

国語を教えておってもですよ、

全身全霊をあげて教える

ということになれば、

子供の方が全身全霊をあげて学ぶ

ということになる。

いってみれば

それは簡単だけど本当なんです。

その他に何もありはせんのです。

方法も何も。

 

全身をあげて教えると、

そういう時に子供は全身をあげて学ぶと、

学習ですね。

何もそこに手段も便法も何もありはせん

のです。

そういうところに

初めて智慧から方便が展開する

というような意味が出てくるんです。

 

数学を教えると、

数学というものは手段やと、

さとりが大事だ

というようなことをいっても、

さとりは大事なものだけど、

さとりをさとりと固定化して、

数学を馬鹿にしていたら、

さとりはつまり、いい加減なものです。

 

そんな、いらんさとりというものを

ふり棄ててやね、算術を教えると。

いらん、無用なさとりなんか

ぶらさげておるから邪魔になるのです、

働けんのです。

そういうように数というものを、

なんというかね、

僕はそういう具合に思うね、

僕らではできんことやけど。

 

もう数の他に世界がないというような、

そういう世界が展開してくるんじゃないかと

思うですね。

数のコスモスです。

数の法界ですよ。

そういうものが展開してくるんじゃないか。

ただ便利だから学ぶ

とかいうものじゃない、

数それ自身の魅力ですね。

 

教師全身が数そのものになってしまうと、

そうすればその力が子供を自然に

数に引き入れていくわけです。

そんなことはなかなか容易にできんは

せんけれど。

そういう世界が数法界というようなものに

人間を導いていくんではないかと

僕は思うんですね。

 

だから仏道といっても別に特別に

そういうものがある

というわけではないです。

もう何でも仏道になってしまうんでは

ないかと思うんです。

そういうときに方便というようなものが

非常に意味を持ってくると。」

 

ちょうどそのころお話を聞いたんですが

数学者の岡潔(おかきよし)という先生、

学生の頃、夏休みに、

三角形の和が180度になるということを

不思議に思って、

毎日毎日いろんな三角形を作って

その和を足していったら、

どうしても180度になるという

厳粛な事実に気が付いて

それから数の世界に入っていったという

ことでした。

 

数というのはとても便利なものですが

その数の世界というものに惹かれていく

そこに何かしら、

大きなものが開けてくるような気がします。

そういう世界に触れるということが

教育ということの大事な意味ではないかと

思うのです。

 

講義は、もとの経典に戻って

「三昧智慧方便善清浄」というところから

始まります。

そこで

「慈悲」ということがテーマになって

きます。

 

 

 

 

さとりの病気

世間という言葉も今では死語に近い言葉

でしょうか。

反対に出世間という言葉もあります

世間を出るということで、

普通には出家するということも同義語で

使われますが、この言葉が略されて

出世するという言葉は今でも使うようです

これは出世間が略されて出世となったのです

本来は仏教語だったのでしょう。

それで、世間という言葉は

ローカ(loka)の訳で、壊れるべきもの

というのが本来の意味のようです。

それで、仏教では世間に三つの意味があります。

否定され滅ぼされねばならない(対治)

うつろいゆく(不静住)

真理に背いたそらごとである(虚妄・コモウ)

ということです。

 

講義の方は、般若の智慧ということが

出てきました。

第六地は般若現前地といって、

般若の智慧が現れてくるという地です。

 

ということで講義を読んでいくと

 

「般若というものは悪いことではないけど、

般若が悪いことはない、

般若に沈むという弱みをみなもっています。

沈まんならんことではないです。

沈むんです、傾向として。

傾向というものでしょうね。

ナイグンク(Neigung)という、

傾向というものをもっているんです、

人間は。

それを破って出るのが方便です。

だからこの方便という概念が

いかに重要だか分かるでしょ。

 

ふつうは無分別智というんだから、

出世間無分別智というんです、

出世間という字をつけて。

それに対して闍那(ジャナ・智)の分別は

世間分別智という、世間智なんです。

だから世間に対して出世間、

出世間の方が上でしょ。

ところが出世間の方が般若なんだ。

 

その出世間を救うものが世間なんだ、

かえってね。

そこらが非常に妙なところですですね。

出世間を救うものが世間なんだ。

 

つまりさとりの病気を救うんです。

 

さとりではさとりの病気は救えん。

さとった人間は必ずさとりの病気に

かかるんです。

 

それは

『宮殿の内に五百歳、空しく過ぎる

と述べたまう』といって、

地獄に堕ちたんじゃない、

気持ちのいい宿に泊まったんだから、

それで宮殿です。

宮殿とかあるいは真言宗でいえば

胎蔵界の胎ですね、胎宮です。

つまり子宮という意味なんですけど、

胎宮に留まるんです、袋の中に。

気持ちのいい袋です。

 

だからそれは地獄よりまだ悪いんです。

地獄に堕ちたんならつらい、

もがくでしょ。

だけど、もがかんのやから、

これはもう怖いんです、

もがかんのだから、沈んでしまって。

 

禅宗でも、野狐禅(やこぜん)というのが

あってですね、鬼窟裡(きくつり)という

ことをいいますね。

キという字は鬼という字です。

それから窟ですね、洞穴のこと。

それから裡は包まれる、沈むことです。

鬼窟裡という。

つまりいってみれば、生悟りです。

さとらんより悪いんだ、

さとりに沈んだら。

 

そういうものが必ず、

この般若という智慧についている

病気なんだ。

そういうものから脱出すると。

それを脱出させるものは、

真実の病気になったのを真実で救うわけに

いかんでしょ、方便なんだ、逆にね。

 

そういうような方便というものの非常に

大事な意味があるのです。

この方便ということが

第七地の面目なんです。

智慧は大事なもので方便なんてつまらない

ものなんだというんじゃないんです。

つまらんものじゃない、

つまらんもののように見えるんです。

馬鹿にするというようなものですね。

馬鹿にした方がかえって馬鹿にされる

ということになってですね。

方便というものも深い意味も浅い意味も

あってですね、

浅い意味からいえば

技術というようなことも入るんです、

テクニックというようなことも

入るんです。

手段というような意味も入るんです。」

 

ここのところは面白いというか

何となく分かっていることが

言葉にならなかった

そういうことを丁寧に講義されている

ところは何か腑に落ちるところです。

 

それからもう一つ、

この講義を聞いた後で

ブームになった言葉に「傾向性」

というこいとがあります。

ここではナイグンクという短い言葉で

終わっていますが、

哲学的にはカントの言葉です。

その当時はよく意味も分からず

「あいつはどうもああいう傾向性がある」

というように、

言ったり言われたりしたものです。

他のところではもっと詳しく出てくるようです。

 

 

辺地懈慢(へんじけまん)

辺地懈慢、

こういう面白い言葉もあるものです。

懈慢、ものごとに熱中しないこと、で

懈怠憍慢ということです。

懈怠(けだい)は怠慢という意味があり

怠けてしまうということです。

唯識という教典では、

懈怠ということは善を行うのに積極的でない

ということは悪を行うのに積極的である

ということです。

精進の反対の意味です。

そして懈慢にはもう一つ意味があって、

それは懈慢界といって、

浄土へ行く途中にある国土ということで、

ここを辺地というようです。

 

講義は、般若の持つ危険性ということで

何も般若は悪いことはないのですが、

その般若ということに留まる、

沈む、沈滞するという意味がある、

ということでした。

その続きですが、

 

「浄土というのは一つの心境なんです、

生活のね。

穢土におっても穢土を超えているという

心境を開くんです。

穢土をやめて開くんじゃない、

穢土の中に穢土を超えた心境を開くんです。

こういうのを浄土というのですが。

 

そのときに、ある旅人が、

つまり行者が安楽浄土というような

そういう一つの世界を求めて出発したと。

ところが途中の駅に着いたところが、

その駅が宿が非常に気持ちが良かった

というのですね。

そしてそこで止まってしまったら、

出発せんならんのを忘れてしまった、

あんまり気持ちがいいもんだから。

 

そういうのを辺地懈慢というのです。

懈慢という。

慢という字が面白いね。

誇りですね。

そこで懈怠です。

懈怠と、怠けと、

それから驕ったんです、これでもう充分

だというようなものです。

そして、ここまで来たらもうこれで

充分だろうというようなことで。

 

だいたい宗教心に怠けるということは

ないはずなんですよ。

怠けるものは人間なんだ。

宗教心がそいつを引き起こしてくる

というのが宗教心なんです。

引き起こすような意味を持っているから

地というのです。

十地の地ですね。

 

人間の方は腰かけたいんです。

人間の方は、

そこらはやっぱり算盤に入れとかんと

いけないですね。

人間は弱いもんだということを

算盤に入れておかんと。

 

そうせんというと、

そういうことを人間に責任を負わせる

というと痩せ馬の尻を叩くようなもんです。

ただきつい責めるというだけの話であって、

責めの一手で、

死んでしまうより仕方がないということに

なってしまう。

 

人間の限界内で人間を越えようとする道を、

人間に責めるというと、

そこには首を吊るより仕方がないじゃ

ないでしょうか。

そうかといって、

後へかえるわけにいかん、男の面子として。

そうかといって先に突破する力もなし、

そうするというと

どうなるかというと

避けるということがあるんですよ。

退くこともできん、

進めることもできんというと、

避けるんです。

 

その避けるというようなことが、

たいていそこらに落ちてしまうんです。

もうやめや、というてね、

後に返るのもおるんです。

やめやといって。

やめるのは誰でもやめられますがね、。

それは努力いらんですね。

 

それから今度は

やめるのも面子上具合が悪いと。

すると今度は避けるんです。

避けるというのも多いんです。

仏道を出発したのを、仏道はできんと。

そうすると今度は研究というようなことに

避けるんですよ。

楽しみだというような。

学問が非常に興味があるというような

わけで。

今度は仏道を棄てて、

道を学問にかえるのです。

そういうところから哲学とかなんとかが

生まれてくるのです。

それは代用品です。

好きな勉強して月給もらうと、

こんないいことはないじゃないかね。

そういうふうに避けてしまうんです、

人間は。」

 

よく修行時代は一服するということで

叱られたものです。

一服なんかせんでもいい、

一服するのは死ぬときや。と、

師匠も学校再建、東寺の再建と

それこそ火の玉のようになっていたので

一服なんて、そんな呑気なこと言うな

ということだったのでしょう。

 

また、時がたち、次第に皆小僧だったものが

いろいろ役職を得てくると

これでも課長だの部長だのと、言い出し

鼻に懸けてくるものです。

ところがそこに落とし穴があって

いろいろの誘惑が出てくるのです。

それによって、修行を止めてしまう

聞法もやめてしまう。

 

周りからちらほらされて

とても気持ちよくなり、歩みをとめてしまう。

まあ、辺地懈慢ということと

違うかもしれませんが、

何かそういう気持ちのいい世界に出会うと

歩みを止めてしまうものです。

 

どんな人間でもそのような境遇に置かれると

そのようになっていくようです。

そこに権力とか地位とか金銭が出てくると

そういう誘惑に負けてしまうのが人間と

いうことのようです。