「己をむなしゅうして」
という言葉、その当時ブームというか
課題になった言葉です。
そのことをどのように具体的に実践するか
ということがそれぞれに問題として
突きつけられたのです。
その言葉を高校生にどのように受け取って
もらい実践させるのか
三浦先生も随分悩まれ、
一つの答えとして、
このように話されていました。
皆さんにとって色々関心事や興味があると
思いますが、この高校3年間は、
いろいろな遊びや女こととか
そいういうことを括弧に入れて
勉学に励んで下さいと、
そして、先生の話されることを
よく聞いて、あの先生は好きとか
この先生の話は面白くないとか、
そういうことを言わずに、
好き嫌いを超えて素直に聞いてくださいと
そのように話しておられました。
私たちには
好き嫌いで物事を見るんじゃないと、
自分を抜きにしてどんな話でも
まずは無になって聞くと、
そういうことを話されていました。
「己をむなしゅうして」ということ
安田先生もいろいろのところで話をされ
このことがやはり仏法を学ぶ基本姿勢だと
話しておられます。
講義では、
「だからしてこれはあの、
止観というのは、
我々が、へ理屈をいわずにね、
たとえてみたら真理なら真理を、
真理はどういうものだろうと、
こう、
そういう具合にいかずにね、
真理をつまりこの、えー、ですね、
真理というものを、
自分らの自然生活のもっとる関心で
真理を見ようとせずにね、
自分の都合のよいように見るもんなんです、
人間というものは。
仏教がいろいろ、
止観なんか考えたのは、
ものを考え、真理は何だと考えても、
真理になるかならんかわからんと。
むしろ
真理自身に語らしたらどうだろうと。
我々はそうつかもうとせずにね。
我々が真理は何だと こう、
我々が主観でもって主張して、
つかもうとせずに、
むしろ真理そのものを
己をむなしゅうしてね、
主観を否定して、
真理自身を語るようにしたらどうかと、
こういうのが仏教の考え方です。
なんぼ都合が悪くてもそれは見るんです、
止観というのは。
自分に都合が悪くても、それを見る、
静かに内観するんだ、
自分の都合を超えてですね、
好き嫌いを超えて、
これがまあ非常に大事なものだ。
そこに勇気がいるんですよ。
どんな自分に都合が悪かろうが
冷静に見ると。
これはまあそういう道を見つけてきた
のでね、仏教は。
仏教に書いてあることは何かというと、
冷静に見た人の言葉が書いてある
のであってですね。
何か冷静に見ん先に言葉が与えられる
というと頭を押さえつけられるようだけど。
しかし、冷静に見た人が
見た通りに語ったんだ。
あの、止というのはものをとどめて
ぼんやりしているという意味では
ないのであって、
己をむなしゅうして、
ものになるということです。
それが聞くということなんです。
ものになると。
真理が自己を語る言葉を
まず我々は無心に聞くということです。
それをすぐ理性に合わせてたりなんかして
聞かずに、
おかしいぞということをいわずに、
まず、己をむなしゅうして
聞くというこいとです。
聞いたように考えるといいますが、
聞いたのを考える、
翻訳するんじゃなしにですね、
聞いたのを聞いた内容を自分の考えに
翻訳して考えてみるんじゃなしにですね、
聞いたように考える
というんです。
聞いた法に照らして、
自分を照らして、
自分を考えるわけです。
そういうような道がまあ今日でいう
反省じゃないでしょうか。
内観とか。
これはあの、止という字は
内観といってもいいです。
内観するんです。
だからそういうようなレッテルに
迷わされんということが大事です。
イデオロギーとか思想。
よくそれを何というか、
ドイツ語で接続法という文章の構文が
あるですね。
『と言う』『と彼は言った』という
言い方ですね。
『そう彼は言っとる』という言い方です。
間接話法というでしょう。
けど『彼はそう言っとる』と
こういうふうに
カッコに入れて物を見るんだ。
そういう態度が必要ですね。
己をむなしゅうして、 あのー、物を見る、
普通はそれを客観的に物を見るという、
主観をやめて客観的に見る
というんだけど、
そうするとまあ
科学的ということになる。
好き嫌いを止めて物を客観的に。
けど仏教のいう止観は … 。
科学という方法、科学は外観なんです。
見るは見ても。
なんか客観的という立場じゃない、
主観的でもないし、客観的でもない。
主観客観というようなことは、
早すでに物を考えた型なんです。」
と講義は続き展開していきます。
ふと思い出すのは宮沢賢治の
『雨ニモマケズ』の詩です。
その中に、
『アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシテワカリ
ソシテワスレズ』
という言葉があります。
簡単な言葉ながらよく味わうと
意味深い内容を含んだ文章です。
「ジブンヲカンジョウニ入レズ」
というのが、先生のいう
「己をむなしゅうして」という
ことでしょう。
そして、
「ヨクミキキシテ」
ということが冷静に見る、
「ソシテワスレズ」
憶念不忘という、
講義の中では、第一巻の初っ端に
「見て敬い聞いて忘れず」
ということが出てきます。
私たちの一番大切な
基本の姿勢ではないかと思うのです。