『十地経』を読みなが
うろうろしているのですが
「うろうろ」という言葉
広辞苑では、
方向が定まらず、または、
どうしたらよいかわからず、
落ち着きなく動きまわるさま。
というように出ています。
あえて、
仏教の言葉に当てはめると
有漏ウロ、という言葉が浮かびます。
有漏の「漏」という言葉は
煩悩の異名です。
ですから、有漏というのは
煩悩が有るという意味になります
この漏という字、もれるという
意味です。漏電とか漏水とかいう
言葉がありますが、
また、
漏刻といえば昔の時計です。
実にこの言葉、身につまされる
のですが、煩悩が漏れ出てくる
という、隠しても隠しても
もれでてくるという、
先人たちも煩悩に悩まされ
こういう言葉をあてたのでは
ないでしょうか。
煩悩がたくさんの異名を
持っているのは、
それだけ悩まされたということ
でしょう。
一休さんの歌に
「有漏路ウロジより無漏路ムロジに
いたる ひとやすみ(一休)
雨降れば降れ 風吹けば吹け」
というものがあります。
有漏路、私たちの生きている
迷いの世界、から
無漏路というのは煩悩がなくなった
さとりの世界、
そこへ行くその途中、ひとやすみ
なんだと、しかし方向が定まれば
雨も嵐もあるだろうが、
必ず行けるということを詠んだ
歌なのでしょう。
善ということも
有漏の善と無漏の善ということが
あります。
善といっても
有漏であれば、煩悩が潜んでいる
善ということです。
慈善事業ということも
やはり立派な事ですが
また、なかなか出来ないことです
しかし、
気を付けないといけないのは、
善をしたことを誇るというか
名前とか名誉を残したいという
そういう心もあります。
それも大切なことですが
そういう心だけになってしまうと
自分にとって一番大切な
真実の心を失いかねないという
ことがあります。
講義で出てきた結婚問題も
善とか悪とか
結婚によって罪を作るようでは
問題だし、
またしないことで、
自分の我が出てしまい
人の話を聞かないという独断に
なってしまっても困る、
そういう時に、
第一義に立つのか第二義に立って
判断していくのかという問題が
出て来て、読みながら
思い出したのが有漏・無漏と
いうことです。
どんなにいい事でも有漏であれば
それは問題だしと
若い頃には悩んだことであります
講義では、
「立つところは仏道だと。
仏道から出発せいと。」
ということが出ています。
何が仏道なのかと、疑問が
出てくるのですが、
道というのですから、
一つの方向をもった
ということなのでしょう。
それこそ、うろうろせず
歩むべき道が見つかった
何時たどりつくかは
わからないけど、
方向が見つかったということが
大事なことのように思います。
それが定まらないと
どっちへ行ったらよいか
本当にウロウロしてしまう
ものです。
あれやこれやといろいろある
ものですが、方向が定まると
案外気が休まるものです。