『 言いたいことは 明日言え 』
同じような格言に 『 口は災いの元 』 ということがありますように
洋の東西を問わず、口に関する戒めの言葉はあるようです。
『 口は一つしかないのに、耳は二つあるのはなぜか ? 』
それは、口で話す倍だけ人の話を聞け、ということだ。
この言葉は古くから、ユダヤ民族に伝わる箴言のようです。
仏さまもよく見ると耳が大きい … それは、
人々の悩み、苦しみをたくさん聞きとめてこられた
歴史を現しているのでしょう。
私たちがお参りするとき、いつも唱える 『 十善戒 』 は
十ある戒律の中で、四つは 「 口にかかわる 」 戒めです。
「 不妄語 」 ( うそは言いません )
「 不綺語 」 ( お世辞は言いません、
普通にはいいように思うのですが、
言い過ぎると、自分の心の底に残っている
真実の心まで無くしてしまう、ということです。)
「 不悪口 」 ( 悪口は言いません )
「 不両舌 」 ( 二枚舌は言いません )
ふりょうぜつ
離間語とも言い、人と人の間を裂く言葉になります。
とかく現代は、自分の考えを巧みに表現できる人が
存在感を表しますが、古の人たちはむしろ言葉巧みのほうを
戒められたようです。
中国の孔子の 『 論語 』 のなかには
『 巧言令色鮮し仁 』 ( こうげんれいしょく すくなしじん )
( 言葉巧みで、表面を取り繕っているものには、
思いやりの心は少ないものだ )
という言葉もあります。
同じような表現では、 『 老子 』 の言葉の中にも
『 口数が多ければ、しばしば言葉の威力は使い果たされる。
心の中にじっと保っておくに越したことはない。 』
このことは、『 念じる力 』 とも同じようなものです。
念じていることを口に出してしまえば、その力はなくなってしまう。
とも言われています。
また、お釈迦さまは
『 修行者たちの集いにおいて、なすべきことはただ二つ
一つは法に関する談話。
もう一つは聖なる沈黙である。』
といわれています。
このことは、私の修行のときも厳しく言われました。
沈黙を守るということが、本当に辛かったのです。
人とすれ違っても、ただ黙って会釈するだけ、
大声でしゃべりたい、という衝動に駆られたものです。
いったん口から出たということは、
それなりの働きを持ってくるのでしょう。
だから、
よくよく考えて、『 言いたいことは明日言え 』 ですネ。