『 花は紅 柳は緑 』
一切を素直に ありのままに見る
『 般若心経 』 にも 「 不増不減 」 という言葉が出てきます。
人間は物事を見るときに、必ず自分の色眼鏡で見てしまうものです。
好きなことはプラスして見ますし、反対にいやな事はマイナスしてみてしまうものです。
自分の感情をいれずに、物事をそのまま見るということは至難の業なのです。
中国にこんな昔話があります。
二人のお坊さんが旅をしていた。
川を渡ろうとしたら、そこへ女の人がいて川を渡れないで困っている。
そのとき一人のお坊さんが勇気を出して、
女の人に私の背中に乗りなさいといって、
女の人を背中に背負い、川をざぶざぶと渡してあげた。
そのことがってから、もう一人のお坊さんが
何里歩いても口をきかなくなった。
何故だろうと思って聞いてみると、
「 本来、坊主というものは女に近寄ってはいけないものだ。
それなのに君は女の人を背中に背負って川を渡った。
まことにけしからん 。」
といって怒っているのです。
するともう一人のお坊さんは、
「 お前はまだそんなことを思っているのか。
おれは背負った時はいいなあと思ったけど、
向こう岸へ着いて降ろした時、そんなことは忘れてしまった。
それをおまえは背負いもしないのに、まだそんなことを思っているのか、
それを迷いというのだ。」
という話です。
それともう一つ別な話があります。
これも中国の昔話で、
非常に立派な仏さまみたいな人だと言われた坊さんがいた。
そのお坊さんを、あるお金持ちの奥さんが自分の家に招いた。
そしてお寺を建ててあげて、どうぞお釈迦さまの教えを広めてください、
とお願いした。
それからというもの、このお坊さんは幾日たっても、
お寺から出てこない。
そこで、この奥さんは毎日、一生懸命ご馳走を作って捧げたのです。
それでも、そのお坊さんは座禅を組んだままでいる。
奥さんにしてみたら、この坊さんが何を考えているのかわからない。
今度は、絶世の美人をそばに入れたのです。
ところが一週間たっても、
そのお坊さんはその女の人を見向きもしない。
奥さんはしびれを切らしてそのお坊さんに
「 和尚さん、和尚さん、あのきれいな女の人はどうですか 」
と尋ねたら、
「 いや、私はなんとも思わない 」
といったということです。
そこで、この奥さんは、あんなきれいな人を見ても心が動かないような
男ってあるものかと、
そのお坊さんを追い出した。
という、有名な話があります。
「 花は紅 柳は緑 」 というように、
一切をそのままに、素直に見れる心のあり方が大事なのです。
どんなきれいな女に人がきても、横を向いてしまうような無理な心も、
それと反対に、きれいな人には迷い込んで深見に入ってしまうような心も、
同じ心なのです。
無理やりに強情をはる心も、すぐへらへらとついて行く心も
同じ流転の心なのです。
そうではなくてなんでも素直にありのままに見て迷わない心のことを
宗教心というのだと思います。
だれでも好き嫌いの心があって、なんでも自分の都合から
主観的にあてはめてみて自分勝手な考え方をします。
あの人は自分に都合が悪いから嫌な奴だ、
この人は自分に都合がいいから良い人だと、いってみたりしてしまいます。
こういう好き嫌いの心を越えなければ何事も出来ません。
宗教心とか菩提心とか、本当の勇気と力は、こういう好き嫌いを越えた
ところにあるということです。
好き嫌いを越えて、初めて人間は一つのことを成し遂げられるのでしょう。