話を聞いても、
自分に気に入るものは肯定する。
自分に気に入らないものは聞かない。
なにか、とてもいい話を聞いたというが
それは自分に合うからだ。
自分に合わせて聞いているだけです。
聞いているというけど、
聞いていない。
自分に合わせて取引しとるだけだ。
自分を批判するような教えは
避けるのです。
自分を撫でてくれるような教え、
それはよい教えだという。
聞法というものはそういうもんじゃない。
自分をひっくり返す、
というのが聞法です。
自分を肯定するのではない。
自己を破って、
自己を回転させるのが求道です。
自分に合わせて聞いているのは
求道というものではない。
求道、
それは道を求めるという意味もあるし、
また、得道という意味もある。
求めて得た。
だから、求道ということは、
無いから求める、ということじゃない。
求める、ということは
願生の願という、
願うということがあります
これは楽になりたいから
願う、求めるというわけではない。
※ 私たちはどうしても
自分の都合に合わせて聞くものです。
自分に都合のいい話はいい話だという。
自分に都合の悪い話は
駄目な話だというものです。
般若心経にも
『一切顛倒』 という言葉があります。
すべてはさかさまであると、
その自分が今までさかさまであったと気づかしてくれる
そういう教えこそが本当の話なのでしょう。