『力の泉』という葉書伝道を
祖父がずっと続けていました。
子供の頃は印刷所へその『力の泉』を
取りに行くことがつとめでした。
祖父が亡くなってからは祖母が
葉書であったものを一つの本にまとめました。
ということもあって、
力の泉ということが頭に残っていたのです。
それで、ここではまた、
という方の話もよく出てきます。
1960年には日本を訪れ、
安田先生とも鼎談(テイダン)されました。
それも、場所はこの「十地経講義」が
行われた東寺の宝菩提院です。
ティリッヒという方はやはり「力」と
いうことを、愛と正義と力、という
ことがテーマだったようです。
分からないのですが、
「存在の力」(Power of Being)とか
「存在への勇気」(Power to Be)
何かすごい言葉を使われるな、
という感想をもっていたのです。
講義を読んでみると、
「大悲の力と方便の力というものに
よって過ぎて趣くです。
力がなければ過ぎるわけにはいかない。
それから趣くのも力です。
力というものによって趣く。
その力というような概念が大事なんです。
力ですね。
あの、ティリッヒという人があって、
パワーという言葉を取り上げているんです。
パワーという。力ですね。
愛とか正義とかと並んでパワー、力と、
これはもう精神生活の根本概念です。
力というものが非常に大事だと
いうことですね。
まあ力というものが活かすんじゃないか。
それが、本当の力がなかなか見つからない
のでしょう。
だから、組織の力とかですね、
何かそんなようなものを力と、暴力なんか、
その一つかも知らん。
それで、組織の力とかそんなものに
頼るんじゃないかと思うんです。
だから、そういう力というものを
見出してくるというと、
職業とかそういう仕事によって
人間が劣等感に陥らんということですね、
そういう虚仮威しに脅かされんと、
こういうものを与えんとですね、
比較するからね、
比較したら早すでに劣等感です。
比較というようなところから
人間を超えさせなきゃいけないです。
そういう時にやっぱり本当の力と
いうものがですね、
見つけてこんならんじゃないかと
思いますね。
力というものは、
精神力とか物質力とかそういうように
すぐそういう具合に片づけてしまうから。
そうじゃない力全体です。
総力戦ということをいいますが、全体です。
だから、
教育なんかで体育というようなことが
大事になるんじゃないかと思うね。
体力というようなもの
非常に大事になことになるんじゃないか
と思うんです。
なにかこの、
ノイローゼというようなこともね、
やはり力の不均衡から来るんじゃないかと
思うんです。
生活が何か偏るとかね。
頭使っとる人間は、頭だけ使うとか、
体だけ使っとる人間は、
体け使っとるというような、
人間が分散してですね、
全体の人間がおらんようになって
しまうとき病気になるんじゃないかと、
ノイローゼというっような。
やっぱりその力の源泉が菩提心なんです。
菩提心というものが、力の源泉だと
思います。
そして、その力があって歩くんじゃない。
歩くから力が出てくるんです。
歩きもせん先から力なんか
頭で考えたとこで、力と、
力という考えとは違うんですから。
やるから力が出てくるんです。
やることが縁となって、それを引き出して
くるんです。
もう無限に持っとるんでしょう、菩提心は。
それがどれだけの力を持っとるか
ということは、歩まなきゃわからんでしょう。
歩まん先にはわからんですよ。
なぜかというとね、
力というのは、必要なだけ出てくるんです。
必要でない力というものがあるから
非常に複雑になってね、
貯金せんならんのじゃないか、銀行に。
使わんものを持っとるということになる。
そうじゃない。
必要なものがその時その時に出てくると、
必要でないものは出てこないと。」
祖父の「力の泉」も何かそういう思いが
あって作っていたのではないかと、
やれば力というものはやるだけ出てくる
泉の如く湧いてくると、
やはり、出し惜しみしていると
詰まってしまってますます出なくなって
くるように思います。
話す時も出し惜しみしていると
頭が回らなくなってしまうようです。
今頭にあることを全部出し切るという
思いで話すと、次々に生まれてくるように
思うのです。
泉も詰まれば濁ってしまう。
それから、もう一つ思い出すのは
体育の先生は凄いということを話して
おられました。
全校生徒に号令をかけることができるのは
体育の先生だけだと。
お寺の世界では作務ということがあります。
これが非常に大事なのですが、
下座行(げざぎょう)ともいいます。
かがんでやる仕事です。
雑巾がけ、草取り、こういう仕事は
人間を作るといいます。
面白いことにこういう仕事をしていると
通りすがりの人でも気軽に
話しかけてくるものです。
そのような時、
意外と人生相談があったりと
思わぬ展開があるのも面白いところです。
力ということは
仏教用語としても大事な言葉で、
その時は「りき」と読みます。
自力・他力、という二力、
それから菩提心を起こさせる力に
自力・他力・因力・方便力の
四力があるといわれています。
まあ「力」というのはいずれにしても
重要な言葉に違いないのです。